特攻の出撃命令を受けた多くの仲間を見送った。「次は自分の番だ」と、「少年飛行兵」は命令を待っている間に終戦を迎えた。大津市在住で99歳になった野口豊さんは「戦争で若者が死ぬのが当たり前の時代だった」と振り返る。
鳥取市出身の野口さんは旧制鳥取第一中学校の生徒だったころ、教室の窓から、陸軍「九五式一型練習機」(赤とんぼ)が飛行訓練しているのが見えた。「自分もあれに乗りたい」とあこがれた。
東京陸軍航空学校の「少年飛行兵」募集の広告を見て飛びついた。1941年10月、親に内緒で受験し、中学を中退、入学した。16歳だった。
同世代の約1200人が同期…